Q5.「国を守るために軍隊は必要」か?

A.守るべき「国」とは「国家」か「国民」か。
「国を守るために」という言葉が濫用されています。しかし、そこで言う守るべき「国」とは何でしょうか?「国家」でしょうか「国民」でしょうか?
 ここで、「国家」と答えるのが、軍事的防衛論に他なりません。なぜなら、戦争は、国民の命を犠牲にすることを躊躇しないからです。彼らの論理では必然的に、国民の命よりも国家の独立、そして統治体制が大事ということになります。しかし国家や体制存続のために国民の大多数を失ってもかまわないとすれば、国民のない国家の存立を信仰するというおかしな結論になってしまいます。
 しかも、現代戦争は、まさに「トータル・ウォー(全体戦争)」です。そこには、前線も後方もありません。軍人よりも人民が多く死に、生命・財産権・表現の自由などあらゆる人権、そして民主主義、経済、生活、環境などにも癒しがたい傷跡を残すものです。
さらに、歴史上どこにおいても、軍隊は、敗戦必至となると、国民を戦火の中に置き去りにして最小限の支配体制と戦闘力を温存しようとする性向が見られます。なぜなら、国民の命よりも軍事的勝利を優先する「軍事的合理性」の論理に彼らの行動原理は貫かれているからです。
 
 そもそも、いったん軍事力の必要性を認めればそれに限界などありません。そうした結果、結局、軍が自己増殖し、軍の発言力が増していけば、軍事的合理性の下、際限のない軍拡、福祉・教育予算の引き下げなど弱者の切り捨て、シビリアン・コントロールの形骸化、民主主義の後退、軍産複合体の形成、軍事クーデタの危険性の増大…などなど民主主義・人権にとって致命傷となりかねない事態が起こりえます。
そもそも軍事合理性が優先する軍隊とあらゆる人を個人として尊重する人権や民主主義の原理とは両立しえないということを心に刻むべきではないでしょうか。

 もし防衛の最大目的を「国民の生命」とするならば、軍事的防衛論はまったく有効ではないということです。
核兵器の存在はその証拠と言うべきものですが、仮にそれを脇においても、大量殺我兵器が飛びかう現代戦争では犠牲となるのは圧倒的に非戦闘員である我々市民です。そのことは、日本においてはとりわけ強く該当するものでしょう。これだけ狭い国土に住宅や工場が密集し、多くの原子力発電所、危険物貯蔵庫、自動車、石油・ガソリン・ガスの備蓄庫を抱え、また原材料・食糧の大半を海外に委ねる日本において、軍事力による防衛は危険な幻想そのものです。
もはや軍事力による防衛論は、まったくもって非現実的であると思います。

現在、核・環境破壊・資源の枯渇・人口問題等が全人類的危機となって現れてきています。
戦争は最大の環境破壊でもあり、軍備は資源浪費の最たるものです。人類が共減を避けようと思うならば、公正な社会システム・資源配分システムを全人類の叡知によって緊急につくり上げねばならない今このときに、何が軍備なのか、という状況です。むしろ、今こそそうした人類の自殺行為にきっぱり別れを告げて、平和憲法の道を選ぶときではないでしょうか。   

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