1月20日(日)に、20余名が参加して、
「改憲・有事法・日本の参戦について考える」つどいを開催

   ――アフガン戦争・有事法・改憲・「不審船」問題について活発に議論

1月20日(日)に、「1月21日からの通常国会を前に、改憲・有事法・日本の参戦について考える」と題したつどいを開催しました。会場の中央区浜町区民館に20余名が集まり、午後3時30分過ぎから、河上暁弘さんの問題提起ではじまり、それを受けて、2時間半にわたって活発な議論が行われました。
 議論では、昨年12月の「不審船」事件について、「『不審船』取り締まりのために攻撃は当然」とか「自衛隊の強化ではなく警察力の強化を」いう意見があるがどう考えるのか。アフガン戦争や日本の参戦、「不審船」攻撃について国民が「当然」「しかたがない」と考える場合に、マスコミ報道の問題があるのではないか。また、国民がマスコミ報道に流されてしまう場合には、現在不況のもとでリストラや賃金カットで生活を脅かされて勤労者の中にも「戦争特需で景気が良くなってほしい」という期待感が生まれており、これに反対運動の側がしっかりと答えていない問題もあるのではないか、など、様々な質問・意見がだされました。


   有事法制定、改憲の問題は何か
         河上 暁弘(専修大学大学院博士後期課程
                    ・中央大学人文科学研究所客員研究員)

以下は、1月20日に開催した「つどい」で、講師の河上暁弘さんにはじめの問題提起としてお話ししていただいたものをまとめたものです。


 明日(1月21日)から始まる国会で、いろいろな法案が上程されようとしています。
 ご存知のとおり憲法を改正するためには、まず、国会の各議院の総議員の3分の2以上の賛成を受けて国民に発議する。さらに国民投票にかけて過半数の賛成が必要だと、二段構えになっていますが、憲法改正のための「国民投票法案」は、この国民投票をどういうふうに行うのかの法律です。これは完全に憲法改正を視野に入れた、しかも「憲法調査会」の会長の中山太郎さん自身が提起しているわけですから、それはもう憲法調査会としてこういう動きになっていると読みとれるわけです。
 さらに昨今、9月11日以降の流れもあるなかで、どんどん自由が圧迫されています。それは、日本だけでなく世界で起こっています。ひとつが人権、さらに民主主義と法の支配、立憲主義というものが近代国家の基本であるはずですが、どんどんこのデモクラシー(民衆の支配)、それにルール・オブ・ロー(法の支配)がなくなっています。逆に、何が世界を支配しているかというとフィア(恐怖)です。ですから、今まさに「フィアークラシー(恐怖の支配)」の時代です。これをいかに脱却するかが非常に大事です。しかし、恐怖には恐怖で対抗しよう、力には力で対抗しよう、そのためにはたとえデモクラシーも、ルール・オブ・ローもなくなってもいい、人類が何百年にもわたってつくってきた遺産がどんどんひっくり返されようとしているのです。そういう中で有事法制論議があります。


 有事法は、人権や民主主義をいかに制限するかを定めるもの


 有事法制については、深くやれば理論的にも深い議論があります。憲法学では「国家緊急権」というのは大変重要なテーマでして、非常事態に法と政治がどうなるかということにかかわることです。ここに『国家緊急権』という小林直樹先生の著作がありますが、大変深い話をされています。
 ただ、有事法制というのは議論としては単純な話でもあります。どういうことかといいますと、軍事力で平和がもたらせるかどうかという話なんですね。軍事力でこそ平和がもたらせると思う人は、有事法制も必要だという話になります。そうではなくて、軍事力では平和はもたらせない、軍事力は必要ではない、憲法第九条の方が大事だと考えれば有事法制はとんでもないという話になります。つまり、有事法制というのは戦時に人権や民主主義を全部とっぱらっていかに制限するかを前もって法律で定めようというものです。戦車が動けるようにするとか、さまざまな徴兵、徴用、徴発をやろうという法律ですから、平和憲法を根底からくつがえすような話です。
 ちなみに、徴兵というのは、国民を強制的に軍隊にとるということですね。これは現行憲法のもとでは、第九条があるからできません。と同時に「意に反する苦役に服させられない」と明記した憲法十八条があるからできないわけです。それから「徴用」、これは労働力を提供する、運輸機関や医療、公務員などいろいろありますが労働力を提供させるということ。「徴発」、これは物品、土地も含めて提供させるということです。


 戦前・戦中の国家総動員法と同じ構造の「三矢計画」


 かつて1960年代に「三矢図上作戦計画」というのがありまして、当時、社会党の岡田春夫さんが国会で追及して問題になりました。この「三矢図上作戦計画」は制服組が中心になってまとめられたものとされていますが、それを調べていくと、かつての国家総動員法とほとんど同じような構造になっています。国家総動員法の第一条は、「国家総動員とは戦時(戦時に準ずべき事変の場合を含む。以下之に同じ)に際し、国防目的達成のため国の全力を最も有効に発揮せしむるよう人的および物的資源を統制運用するをいう。」つまり、戦時に「国防目的」つまり軍事目的のために、いかに人と物を有効に活用するか。そのために人間も物品も国家の命令で取り上げる、動員させるという法律です。ですから、「三矢図上作戦計画」では、人的動員、物的動員、一般労務の徴用、業務従事の強制、防衛産業におけるストライキの制限、それから官民の研究所・研究員を防衛目的に利用、私も利用されるのかどうか分かりませんけれども(笑い)。それから防衛徴集制度の確立、国民世論の善導、よく右翼の脅迫状に「善導」と出てきますがああいう感じですね。これら一切のことが論じられています。こういう研究が、すでに1960年代から行われていて、当時は、制服組が勝手に暴走してつくられたものとされていましたが、福田内閣以降(1977年)は、これが政府の研究として格上げされました。


 有事法制論議が国民に公開されないのはなぜか?


 しかも、この有事法制の研究というのは、国民に公開されて行われているわけではないんですね。政府が、国民を防衛目的のために活用したい、ご協力いただきたいというのなら、国民参加で議論すればいい。しかし、やらない。できないわけです。なぜなら、有事法制研究というのは、人権の制限をいかにするかを研究するものですから当然だせないわけです。国によっては、ある程度公開されているところもありますが、日本はまったく国民参加でやりません。例えば、「有事」が戦時に限らず災害も含むというのなら、災害の際に国民がどう避難するのかの議論があってもいいと思います。しかし、それをどうするかだけではないから公開できないわけですね。私たち国民の側からすれば、「有事」とされる場合でも、いかに人権が保障されるかが大事ですが、当然ながらそういうものが想定されていないわけです。「防衛白書」を見ても、例えば侵略があったらどう対応するかと書いていますが、どこにも国民をどう避難させるか、その場合でもいかに人権を保障するかというのは出てこないですね。それは、有事法制研究というのは、軍事的合理性を追求する、つまり、人の命を助ける話しではなくて、いかに戦争に勝つか、そのために邪魔になるものはいかに排除するのか、という観点から行うものだからです。「三矢作戦計画」も二週間で87本もの法律を通すと書いています。当時は社会党がそれなりに力のあった時代ですがそういうことを書いています。あるいは、「革命勢力の排除」と書いていますが、「革命勢力」というのは野党も含めてみたいですが、反対するものをいかに統制するかまでも書いています。
 いま問題になっている有事法制定というのは、こういう発想でやられてきた有事法制論議の積み上げにたって行われるものだということなのです。しかも、有事法制研究を政府の研究に格上げした福田首相(当時)の秘蔵っ子の一人である小泉さんが問題提起をしているところが非常に大きな問題ではなかろうかと、まずは思います。


 有事法は、人権をいかに破ってもいいかという剣を政府に渡すもの


 ところで、有事法制論議を正当化する人は「軍隊が動く場合に、軍隊が無法状態で動くのは危険だからそれを統制するための法が有事法制だ」と言います。しかし、そんなことはありません。当たり前ですが、どういうことが起きるか分からないから「有事」なんですね。戦時を含めて。そうすると矛盾があるわけです。あまり厳しく(軍隊を)統制すると、有事には使えない法律になってしまう。この法律をも破って動かなければならない場面が出てくるからです。逆に、(軍隊の統制を)あまり緩やかな法律にしてしまうと統制する意味がなくなってしまう。そのへんを常に有事法制はかかえている。フランスのド・ゴールも、西ドイツ(当時)で一九六八年に制定された緊急憲法もそういう矛盾にさいなまれて苦しんでいます。
 しかも、そういう法律があるから有事の際に(軍隊が)きちんと統制されるかというと、そうではありません。国民世論とか、民主主義を大事にする土壌とか、人権尊重とか、あるいは議会の強さとか、そういうものがあるところは有事法制が無くても緊急時に対応できるでしょうし、逆にそういうものが無ければ、どんなに法律に書いていても意味がありません。いまでさえ憲法が守られていない状況があるのに、有事の際に有事法が遵守されるという発想自体が、ものすごく政府を信じている発想になるわけですが、そういうことにはならない。むしろ有事の時に人権をいかに破っていいかという剣を政府に渡してしまうのが有事法制論議だというところから議論を出発しなければいけません。
 それは具体的には「三矢計画」などを見れば明らかです。有事法制はゼロからつくる話ではないのです。「三矢図上作戦計画」は、第二次朝鮮戦争があった場合にどうするかが想定されていたという大変な話ですが、九四年春、細川内閣から羽田内閣にかけての頃に、北朝鮮の「核疑惑」なるものが言われ、明日にも戦争になるかのような議論が行われたことがあります。そのときに防衛庁は、「三矢計画は誤解もあった。でも大事な問題提起だった」といったのです。「誤解」もあったというならどう「誤解」してたか教えていただきたいものですが、つまり防衛庁はあまり反省していないですね。あれは良かったと言ってるわけです。そういう認識からつくりあげられてきた有事法制論議だということです。


 憲法を守らない政府のもとでの有事法制定は、もっと危険


 しかも、もう一方で小泉内閣にたいして危惧することは、「憲法論争は神学論争だ」と言ってるわけですね。つまり「法で軍事を制限するための有事法制を議論する」と言っている人が、憲法は紙切れ同然だと、「神学論争だ」と言っているわけです。憲法をピッとはじいてしまう総理大臣が有事法制論議をやろうというのですから、これはもう大変なことになるだろうというのは明らかだと思います。
 キリスト教圏の人に向かって「神学論争だからつまらない」なんて言ったら、それはキリスト教圏の人からするととんでもないことを言うとなるのでしょうが、「神学論争はやめよう」と言って憲法をないがしろにすることは、じつに大変な問題なんですね。そもそも、憲法をないがしろにする政府は国際的に信用されません。特にアメリカ人はそうです。アメリカ人はよく三つのものを信奉してやまないと言われます。一つは合衆国憲法、一つは聖書、もう一つはニューヨーク・タイムズの「社説」だと言うのですが(笑い)、そういう三つの信奉のうちの一つなのです。もし日本が憲法に違反して自衛隊を送ることを一般のアメリカ国民が知ったらとんでもないという話になります。憲法をふみ破るということは、言ってみれば「昨日、君が『あの人嫌い』と言ってたから、今日殺してきてあげたよ」というくらいの話なんです。それくらいの重みを欧米社会ではもっています。後ほど詳しく述べますが、憲法というのは、国民が権力者とのあいだでかわす「契約書」です。「契約」という言葉は、『聖書』にもある大事な概念ですから、契約違反をすることはあってはならない話なのです。ちなみに、アメリカ合衆国憲法は軍事統制がほとんどありませんから、アメリカのやっていることは憲法違反ではないのですが…。
 ところが、日本人の場合には、憲法をちゃんと守るかどうかということにあまり目が開かれていないのではないかと思います。必要があったら憲法くらい守らなくたっていいじゃないかというような空気が国民のなかにないわけではない。もちろんそれには、小泉さんが答弁の度に「憲法の制約が」「憲法の制約が」と言うことによって、何か憲法さえなければいいかのようになっている面があります。じゃあ、その制約がなければ一体何をおやりになりたいのですか? もっと戦争をやることですか? アメリカと肩を並べて空爆をやるということですか? と小泉さんに聞きたいところですね。
 それから、憲法を守ろうという立場の人たちにも問題があるのではないかとも思います。ご存知のように、「対テロ特措法」をめぐっても国会では本当に些末な議論をやっています。国会承認をするかどうか、あるいは野党も、例えば社民党の辻元さんは「民間航空機で運んだ方が早い」とか…。それは確かに大事な話です。軍用機で運べば何日もかかる、運ぶテントはパキスタン製だったというからパキスタンで買った方が良かったと、それはそうですが、そこが本質ですか、という問題ですね。戦時に自衛隊がどう協力するかとなっていることが問題ではないか。しかしそれが殆ど議論されないまま、「難民救援」は自衛隊と民間のどちらが有効かみたいな議論にズルズルといって、小泉さんが「憲法の神学論争はやめよう」といったこと自体もほとんど問題にならない。
 こういうときこそ、なぜ憲法が大事なのかという議論から始めるべきだと思うんですね。


 なぜ憲法が大事なのか?


 憲法が果たしてきた歴史的意義というのは、何百年もの積み上げがあります。昨今、「反改憲ネット21」が『Q&A 日本国憲法のよみ方』という良い本を出しましたが(笑い)、ここでも憲法はなぜ大事かという議論を冒頭の方においています。憲法はなぜ大事かという議論をしないで、例えば教育の現場でも「憲法前文を暗記しましょう」とかいう。これは憲法嫌いになります(笑い)。あんなことをやってはいけません。私も予備校で政治経済を教えていますが、大事なのは憲法の理念、内容なんですね。憲法の条文を丸暗記させるのは、憲法を嫌いにさせるための一つの国家の策略じゃないかという気もするのですが(笑い)。
 なぜ憲法が大事か、僕は普段から言っていますが、憲法は「契約書」なんです。われわれは税金を出して公務員を雇っている。英語でいうとpublic servantですね。「公の召使い」、彼らとの約束事が憲法です。まず、何のために国家をつくるのか、政府をつくるかというと人権保障のためです。
 人権というのは紙に書いただけでは守られません。やはり正しい方より強いものが勝つ面がある。人間は天使の部分と悪魔の部分を両方もっていますから、人権といってるだけでは守られない。そこで政府をつくる、人権保障をより確実にするためにつくる。その時にどういう人権を守らなければいけないかを憲法典に書き、さらに権力者たちに権力を授ける、授権する。例えば国会には立法権を、内閣には行政権を、裁判所には司法権を授権する。授権をするときの「あなた方はこういう仕事をしなさい。その代わりこういう事しかできません」と、権力の限定、制限をするのです。憲法はそういう契約書なんです。だからあなたの仕事内容はこれですよという契約書を出しているわけです。
 だからこれもよく言われる話ですが、憲法第九十九条は「憲法尊重擁護義務」と書いているのですが、「天皇または摂政および国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」と書いているのです。国民は入っていません。公務員は憲法を尊重擁護する義務があると書いているのです。これは、契約された側ですから契約を守らなければいけない。なぜ国民が入ってないのか、とトンチンカンな議論をする人もいますが、国民は憲法を守る義務がある側ではないのです。憲法を守らせる側なのです。契約書に書いてある内容をちゃんと守らせる側が国民であって、守る義務があるのは公務員なのです。
 だから、当然、契約書の中身を知っておかなくてはいけないので、われわれは憲法を学ぶし、それから憲法通りに政治が行われているかどうかを常に監視しなければいけない。権力を授権するのは白紙委任ではないのです。「どうぞ好きにやって下さい」というのではないのです。条件付きの契約、この憲法通りの仕事をやって下さい、人権保障をちゃんとやって下さい、もしやぶったら憲法第十五条があります。これは「公務員の選定罷免権」というのがありまして、「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。」と書いている。つまり、九十九条で尊重擁護義務があり、それを破ったらクビとなるのです。この十五条のように公務員の選定罷免権は「国民固有の権利」だと書いているのは世界でもそうないのです。日本国憲法の一つの特徴なのです。すごく素敵な、民主主義的な憲法です。
 ただ、残念なことは、現行ではリコールの法律がありません。小泉内閣はそうですが、天皇だって、すでにいろいろな憲法違反をやってます。しかし、具体的にどうやってクビにするのかの法律がないのです。


 なぜ憲法第九条が大事なのか?


 なぜ憲法は大事なのか、ということについて簡単に述べましたが、同時に重視しておかなくてはいけないのは、なぜ憲法九条はそんなに大事なのかという中身の問題です。詳しくは、先ほど紹介した『Q&A 日本国憲法のよみ方』のなかの私が執筆しました、「Q5 『国を守るために軍隊は必要』か?」とか、「Q6 『万が一攻められたらどうするか』?」、「Q7 国際貢献には、軍事的協力も必要?」というところを読んでいただきたいのですが、そこで憲法九条は大変現実性があると論証したつもりです。つまり、憲法九条は世界人類の希望の光、理想というだけではなく、きわめて現実的だということです。


 1.日本に初めて立憲主義を根付かせた


 第一に、日本の歴史を考えれば、明治憲法時代に天皇と軍隊と国家神道と三本柱でやってきたわけですが、それを全部否定するのが日本国憲法です。つまり、天皇主権から国民主権になり、軍隊をなくして憲法九条ができて、そして国家神道ではなくて政教分離というのができる。小泉さんは靖国にも風穴を開けようとしていますから大変な話です。この三本セットをひっくり返して日本ではじめて立憲主義というものを本格的に根付かせたのが日本国憲法だと私は思います。
 そして同時に、「批判の自由の下支え」だという樋口陽一先生の議論があります。つまり、戦前体制から脱却したうえで、例えば戦争が起きた時に反対すると、かつては「非国民」だと言われた、今もし憲法が変わって日本が戦争をやろうという時に、国家によって総動員されるというだけでなく国民も戦争に反対する人にたいして果たして窓ガラスに石を投げない国民になっているかどうか。今は憲法九条があるからこれだけ反対とやっていても問題とならないのですが、もし憲法九条がなくなってもなおかつ戦争に反対とアメリカやフランス並みに言えるか。アメリカでさえいまは言えなくなっています。「戦争中だから困る」と、Tシャツに「戦争反対」と書いてきた高校生が処分を受けたりする。こういうのは「戦時中は困る」と言う。あの「自由の国」といわれたアメリカでさえそうなのです。じゃあ、戦争が終わってから反対というのか、という話になりますけれども。戦時中だから反対なのですよね。ともかく、アメリカやフランスでもベトナムやアルジェリア問題で反戦運動の伝統があります。そういう自由な言論の伝統が日本に確立していると言えるかどうか。そういう批判の自由の下支えになっているものが憲法第九条だということです。日本に憲法九条があるというのは、戦前の天皇主権、軍国主義、国家神道からの脱却であると同時に、批判の自由の下支えになっている、これがまさに日本においては非常に現実的な意味があることというが第一点です。


 2.人権・民主主義に一切の制限を認めない


 第二点は、人権や民主主義にたいして軍事の名による制限を一切認めないのが日本国憲法だということです。徴兵、国防秘、国家緊急権などを一切認めない。これは人権、民主主義の観点からすると大変な進歩です。九五年に国際憲法学会があって、世界中から名だたる憲法学者が日本にやって参りました。そのときにやはり口を揃えて日本国憲法の何がすごいかというとそこだというんです。軍事となると人権や民主主義が引っ込んでしまう、どこの国の憲法でも。日本はそれを否定しているわけですね。軍事の名によって人権を制限されない。
 これは、何も前文や九条だけではありません。例えば軍法会議をもてません。特別裁判所を禁止しているからです。徴兵もできません。これは意に反する苦役を禁止しているからです。憲法全体が、まさに立憲平和民主主義の大変な体系をもっている。これは日本の誇っていい財産だと思います。九条だけではない、憲法典全体がまさに平和憲法なのです。これは人権、民主主義の可能性をより発展させるということです。


 3.国民を守るうえで、もっとも現実性がある


 第三は、憲法第九条は、軍事力による防衛論よりも現実性がある。つまり、「国を守る」というが「国」というと曖昧なんですね。国家を守るのか、国民を守るのか、全部守れればいい、だけどいざというとき――まあ、いざということは経済が相互依存化している現在においては、ほとんどないことです。なぜなら、日本を戦争に巻き込むだけで世界恐慌になりますから――全部守れないとして何を犠牲にして何を優先するかという優先順位が問題になります。軍事力による防衛というのは、国家を、そして実際にはバックにいる支配階級を守ることを優位におくことです。それは、例えば沖縄戦を見ても、何を見てもそうです。勝敗が優先します。下手をすると大量虐殺の時代ですから国民がみんな滅んだけど国家は守ったとか、そういう話になりかねないのが、軍事力による防衛です。
 これにたいして、非武装の市民抵抗論、非武装の平和防衛論――これについては様々な提案・方法があると思いますが――、これの方が、国民の命を守るという点ではより現実性が高い。そもそも、国土が狭くて住宅が密集し、工場、原子力発電所などなどがある日本は、戦争に耐えられるような構造になっていません。そういう国で、軍事力による防衛というのは、僕からすると大変ロマンチックな、大変非現実的な話だと思います。


 4.地球的課題解決のうえで、もっとも現実的


 第四点は、もっと広い視野から考えると、まさにいま地球滅亡の危機にありますね。核兵器や戦争、環境破壊、資源・食糧・エネルギー問題、どれ一つとったってどうにかしないと21世紀中に確実に人類は滅びます。これをどうするかという時に、戦争は最大の環境破壊だし、軍隊は最大の資源浪費です。そういう時に軍隊なんていってられないですね。それをいかになくしていかなくてはいけないか。そして資源やエネルギーの公平な分配というのをやっていかないと、人口問題ひとつとったってこれは大変なことになります。そういう緊急の地球的課題を解決するには、憲法第九条しかない。
 そういう大変現実的な意義のある憲法九条をないがしろにする動きは一切許してはいけないと思います。こんにち、いろいろな自由が圧殺される時代のなかで、いかにしていくかを市民は知恵を出し合わないといけないと思います。


 憲法を変える前に、憲法の実行を!


 最後に一つ、このあいだ、私のところに「市民憲法調査会」をつくろうじゃないかというお話しがありました。あるべき憲法調査はこういうものだと、市民の側ができるような、そして研究者などを呼んだような会をつくろうじゃないかというものです。
 それは私も一応賛成なのですが、私としては、現在、なんとなく憲法を変えようというムードがあるなかで、憲法を変える前に憲法はまだ実行されていないじゃないか、だから、まずは憲法を実行しようじゃないかといのが私の主張です。そのためには、いままで憲法がいかに実行されてなかったかを調査する、「違憲調査会」を
つくる。そして「違憲白書」を出して、こんなに実行されていない、まずこれを法律や政策でやって下さいとうちだしていく。天皇の問題を含めてそうですけれども、憲法違反はいっぱいあります。こういう積極的な攻めの護憲論、つまり憲法典だけを守ればいいというのではなくて、真実に憲法を実行させて守らせるのが本当の意味での護憲論、積極的な攻めの護憲論だろう。そういうものとして「市民憲法調査会」をつくるのなら、いいのではないかと思います。このことを最後に言いまして、問題提起とさせていただきます。
ありがとうございました。

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