ここに掲載する詩は、作者のご厚意で掲載させていただくことになりました。
     今後も定期的に掲載する予定です。
「平和 」 
         甲田 四郎さん

私の少年時代平和があった

日本の敗戦から四年後の1949年

私は新制中学二年生

国鉄の第一次人員整理三万七千人があり

七月下山国鉄総裁の轢死体が発見され

深夜三鷹駅で無人電車が民家に暴走し

八月松川で貨物列車が転覆し運転士と助手が死んだ

じつにその九月、へいわが走りだしたのだ

戦後復活した最初の特別急行列車

庶民の夢子供のあこがれそれはへいわと名づけられた

編成は三等荷物合造車・三等三両・二等四両・食堂車・一等展望車

展望車には鳩の上にへいわと書かれた丸形テールマーク

その上で女優の木暮実千代が手を振って発車した!

東京大阪間を一往復

所要時間九時間、戦前の特急より一時間遅い

浜松までは前後に前後にデッキのある茶色のFF58電気機関車が

後は日本最大の蒸気機関車C62が引っぱった

でもへいわの寿命は三ヵ月しかなかった

50年1月にはつばめになって

六月朝鮮戦争が勃発

七月マスコミでレッドパージ

八月警察予備隊令が公布となった

それでへいわは消えたと思われていたのだが

七年後、東海道線が全線電化になった翌年

57年7月にできた東京博多間臨時特急さちかぜが

十月に忽然と東京長崎間 おおナガサキの

特急平和となって走り出した

私が大学三年のときだ

その寿命は二年足らず持って

59年7月にさくらとなった

それが第二次平和だ

第二次というからには第三次があったので

ナガサキというからにはヒロシマがなくてはならぬ

じつにその通り第三次へいわは大阪広島間 おおヒロシマの

ボンネット型ディゼル特急

61年10月1日白紙改正によって出現した

この寿命はたぶん62年6月までの八ヵ月だ

このとき東京広島間が電化され

大阪広島間に電車特急宮島が二往復現れて、消えた

それから後は平和は行方不明

64年10月東京新大阪間に新幹線が開通

87年4月国鉄分割民営化

JR六社となった今に至るも行方不明

鉄道員の誰が平和を好きだったとか

誰が嫌いだったとか言うつもりはない

ただ、列車の名前を平和とつける

駅ごとにスピーカーで平和 平和 平和と言う

それほどに平和を愛した時代が、かつてあったのだ

短かった私の少年時代と、青春

 


◆Copy-right hankaikennet21 All Right Reserved.◆掲載記事・画像の無断転載を禁じます。