軍事費分の納税拒否裁判の原告・野村晋一さんの「意見陳述書」


 5月17日(土)に開催した「イラク軍事占領と有事法制・憲法改悪に反対する5・17大集会」で発言していただいた野村晋一さんより、5月20日に提訴された軍事費分の納税拒否裁判の公判(7月8日)で朗読された「意見陳述書」を送っていただきました。以下、その全文を掲載します。

意見陳述書
                             
               2003年7月8日
                                          平成15年(ワ)11154事件
  東京地方裁判所 民事第25部 御中

               原  告       野 村  晋 一  原告意見陳述


1.
私の父親は、戦時中海軍の江田島で訓練を受けておりました。父が死ぬまで言い続けた出来事があります。江田島での 訓練中、タクワン一切れを巡って殺人が起きたという事です。海軍兵学校のあった江田島でさえ、タクワン一切れの多い少ないを巡って殺人が起こりました。戦争は市民の人格を破壊し、ケダモノに変えてしまいます。軍靴の音の近づく中、昼も夜も叫び求めている人たちのために裁きを行なわずに、いつまでも放っておかれるのでしょうか。

2.
(1)裁判の必要上、原告自身の非暴力に関わる活動をお話しせざるを得ません。私がこれから話すことは、愚か者のように誇れると確信して話すのです。もしあなた方がそう思うなら、私を愚か者と見なしてください。

(2)私は、良心的軍事費拒否の会の会員として軍事費分の納税を拒否しましたが、同会の母体とも言うべき日本友和会の理事として、多年にわたり平和に関わる活動に従事してまいりました。友和会は、第一次大戦の前後に創られた国際的な平和団体で、インドの独立運動を指導したガンジーやアメリカの公民権運動を指導したキング牧師も関わりを持っていました。国連NGOとして登録され、現在進行中の国連非暴力の十年(世界の子どもたちのための非暴力の文化国際10年)は、国際友和会(IFOR)がユネスコに働きかけて実現したものです。

(3)北朝鮮で飢餓が極まる中、泣き叫ぶ子供たちに自分の手を切って食べさせた親たちの話が伝えられました。有志とともにお粥パーティを開き、食事代を節約した費用を含めた寄付を募り、北朝鮮にお米を届ける愛の救援米運動を起こしました。この運動は、のちに多くの団体が手がけた北朝鮮にお米を送る運動の先駆となりました。肉を食べなければ、子供の内に命はありませんでした。子を思う親の愛は、北朝鮮も日本も変わることがありません。

(4)2000年、ミレニアムにイスラエル全土を襲ったパレスチナ民衆の武装蜂起に際しては、国際友和会のパレスチナの代表を訪ねました。民衆の投石が、しばしば大きな戦闘のきっかけとなっている事態を直視し、投石を止めて非暴力手段で独立を求めるよう、訴えました。その後、パレスチナの知識人たちの手で、武装蜂起に歯止めをかける努力がなされたと聞いております。同時に、旧知の間柄であるイスラエルの元国連大使をエルサレムに訪ね、イスラエル軍がこれ以上パレスチナの民衆を殺戮しないよう、求めました。同元大使は、アメリカでの総領事時代から米国大統領に知られ、経験を買われて引退後もアラファト議長との交渉に加わっていたのです。

(5)米国での9月11日のテロの後には、ニューヨークで開かれた国際平和大会に参加しました。会場を埋め尽くしたアメリカ人と、各国のNGOやユダヤ教、イスラム教の代表者の前で、ユダヤ人とイスラム教徒の和解を訴えました。
誰かが弱っているなら、私は弱らないでいられるでしょうか。誰かがつまずくなら、私が心を燃やさないでいられるでしょうか。しかし、自分自身については、弱さ以外には誇るつもりはありません。むしろ、大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。

3.
(1)今回の裁判は、租税債務の存在自体を争うものではありません。税法自体が違憲だと争うのでもありません。差押えという手段が取られたことを争います。差押えという政府の行為によって、税法が違憲的に適用され、人格権侵害がなされたことを争います。「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返す」ことを求めております。

(2)3月20日に行なわれた差押えは、奇しくも米国のイラク侵攻の開始と重なりました。差押えられた私のお金は、イラクについて使われるのではないでしょうか。以前から論議されていた有事法制の国会審議の費用に使われるのではないでしょうか。あるいは、既に行なわれているゴラン高原のPKOやテロ特措法等のために支出されるのではないでしょうか。会計法第1条により、差押えられたお金は、翌年度の7月末までに支出される可能性があります。国債の償還等を通じて、過去の政府の行為に使われる可能性もあります。過去、現在、未来の戦争という名の殺戮によって、断末魔のうめきを上げながら命を落としていく市民の姿が走馬灯のように前を過ぎ去っていきました。汗が血の滴るように地面に落ちていく思いが致しました。戦争という名の殺戮の片棒を担がされたからです。
差押えによって、平和を求める私の良心や尊厳は、現実に甚大な打撃を蒙りました。

4.
(1)現在、国会で審議され、私の差押えられたお金がその審議費用に使われた可能性のあるイラク新法では、米英軍の武器や弾薬、兵士の陸上輸送を自衛隊の任務に加えようとしております。これは、してはならないはずの「武力行使と一体化する行為」に当たりかねません。

(2)また、有事法制については、一義的に憲法に反する立法が行なわれた可能性があります。
同法第2条第7項イ(1)では、「武力攻撃を排除するために必要な自衛隊が実施する武力の行使、部隊等の展開その他の行動」について、措置が取れることになっております。同法第2条第3項で「武力攻撃が予測されるに至った事態」が挙げられていることを考え併せますと、日本政府が予測しさえすれば、真珠湾攻撃のような先制攻撃すら可能であり、自衛隊が武力を行使できることになっております。これは、憲法第9条が「武力の行使」を「永久に放棄」し、「戦力は、これを保持しない」としていることに、真っ向から反しております。

  懲役刑の威嚇によって市民の協力を強制する有事法制は、国家総動員法を想起させます。軍の機密に遮られる中で、マスコミの報道の自由も、どこまで保障されるのでしょうか。物の言えないあの時代が、またやって来ようとしています。この道は、いつか来た道ではないでしょうか。

5.
憲法第9条の制定については、従来陰に隠れがちであった視点が必要です。わが国は唯一の被爆国であり、焼き尽くされた広島・長崎の贖いのゆえに、憲法制定議会の選挙を通じて、市民が選び取った平和憲法であるという視点です。他の国々での占領とは異なり、わが国では、敵・味方の区別のない絶滅戦争の時代を迎えたがゆえに、市民は絶対的な非戦平和を希求し、平和憲法を選び取ったのです。憲法第9条こそは、核時代に生きる世界の市民にわが国が献げる、非暴力の世界への礎です。新しい時代を築く憲法第9条を広めることによって、日本は世界から尊敬され、日本人は誇りを取り戻すことができます。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのです。

6.
(1)警察予備隊の設置以来、政府は違憲の疑いの濃厚な行為を積み重ねてまいりました。イラク新法や有事法制に至るまで、これらの政府の行為は、再軍備を目的とした不可分一体の行為と見るのが、実態に即しております。政府の行なった違憲の疑いの濃厚な行為により、市民の平和に対する感覚は、次第に麻痺させられてまいりました。市民にとって合法と違法の境界は曖昧にされ、政治に対する諦めから、平和に対する感覚は、麻痺させられました。昨今のわが国の右傾化は、政府のこのような違憲の疑いのある行為によって大きな影響を蒙ったものです。今回、私はこのような政府の行為に対する精神的損害の賠償を求めておりますが、支出が国会の審議によるべきであることは、賠償を否定する理由となりえません。違憲の疑いの濃厚な政府の行為によって市民の平和に対する感覚が麻痺させられた結果、選挙権行使の前提となる平和に対する判断が健全なものとなっていないからです。「投票箱と民主制の過程」自体が傷つけられた状態で、議会制民主主義は精神的自由を侵害する理由とはなりえません。

(2)国税徴収法第47条は、差押えの時期について終期を規定しておりません。したがって、政府は差押えをせずに、より制限的でない他の選びうる手段によって徴税することが可能でした。私は税務署及び国税不服審判所に対し、一貫して翻意して自主的に納税する可能性もあることを述べて参りました。行政的勧告の継続等の、より制限的でない他の選びうる手段を、政府は取ることができました。にも拘わらず政府は、平和を求める私の良心の自由を差押えによって侵害しました。軍事費相当分だけを差押えたからです。私の平和に対する感覚は、部分的にせよ政府の行為によって麻痺させられました。

7.
また、政府は、私の個人の尊厳を差押えによって侵害しました。平和を求める心を育むことは、個人の人格的成長に必須の要素として、個人の尊厳の重要な内容だからです。剣による者は、剣によって滅びます。自主的な納税の可能性があるにも拘わらず、政府が原告の意に反する差押えを行なったことは、市民を奴隷として扱い、個人の尊厳を侵害したものです。個人の尊厳という憲法の究極的価値は、政府の支出に関する国会の多数決民主主義によっても奪うことのできないものです。
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