永田悦子さん(元教師・反改憲ネット21会員)からの投稿 反改憲ネット21会員の永田悦子さんから二つの小論を送っていただきました。すでに他の冊子などで発表されたものですが、反改憲ネット21の会員の方々にも読んでいただきたいと思い、掲載させていただくことにしました。
永田悦子さん(元教師・反改憲ネット21会員)からの投稿

知らなかった同級生の「爆死」


1.はじめに
 七十五歳になった私に与えられた課題は、「戦前の学校教育について」、つまり明治憲法と教育勅語に忠実に実施された教育について、ということである。
 台湾で生まれ、終戦の翌年、母の里・長崎に引き揚げてきた。外地で学んだ日本の教育も「さいたさいた、さくらがさいた」から始まる。小学校、女学校、師範学校と進んだが、祝祭日には必ず式があり、一時間以上立ったまま、あの長い教育勅語を天皇の言葉として、下を向いたまま聞かされたつらさを思いだす。暗記しなくても覚えていく、語句の意味は理解出来ないものがあっても。それでも学校生活そのものは楽しかった。

2.64年ぶりのクラス会で
 私は爆心地の浦上に引き揚げてきた。母の実家は全滅、生存していたご近所の方のお世話になって食糧難ものりきった。教育現場二十年、日教組本部九年、おかげで全国を回ることができた。
 日教組を退職してから時間にゆとりが出来たので、ご無沙汰していたクラス会に参加しようと思って、あらためて名簿を見た。「爆死」と一人の男子、台北で私の近所に住んでいた友、幼な顔を思いだした。同級生は全員引き揚げ者だと思い込んでいた私は、クラス会の時男性に聞いた。「僕も沖縄の基地で敗戦を迎えた。彼は一日早く飛び立った。片道切符で、仲間の敬礼に見送られて…。日本にもう飛行機はなかったようだ」と語った。彼はどんな気持ちで飛び立ったのであろうか。見送る少年航空兵の気持ちは、と問い正す勇気もなく、心の中に深く残った。

3.正確な情報のない中で
 思えばあの頃、少年航空兵にあこがれて多くの若者が受験した、という噂は聞いていた。純粋な少年たちの気持ちを駆り立てて、死に追いやった軍人政権に怒りを覚えた。片道切符でどんな気持ちで飛んで行ったのか、涙があふれて仕方がなかった。多くの若者の命を奪い、一方、中国大陸では住民を虐殺し、軍人を元気づけるためといって、「慰安所」を設置するなど許せない事をしている。そして国内では、勝利、勝利と旗行列、提灯行列に(日の丸の小旗を持っていないと怒鳴られた)正確な報道は流されず、沖縄の地上戦も知らなかった。原爆二つで更に多くの犠牲者を出して敗戦を決めたとは腹立たしい。
 すべて日本が仕掛けた戦争である。お国のためという言葉に騙されたのだ。
 台湾でも最後の一年間は、連日連夜、艦砲射撃・空襲に見舞われた。私が通学していた師範学校に軍司令部が配置されていたので、防空壕の中に飛び込んでも爆弾の炸裂する音に、もう最後か、今度は直撃かと何回思ったことか。一日一日を生き延びていく思いをだきしめていたあの頃を忘れない。
 1931年に満州事変(私は四歳であった)、そして上海事件、支那事変と発展。それでも大人達は『戦争ではない、原住民が暴れているから「討伐」に向かったのだ』と私達に教えた。この間十年、そしてあの1941年の真珠湾攻撃まで
発展したのである。それでも神風が吹く、神風が吹くから必ず勝つと教えられてきたが、原爆二発落とされて敗戦となったのである。

4.世界に憲法九条(戦争放棄)を
 侵略戦争にあけくれた結果、その反省に立って日本国憲法(平和憲法)が生まれたのである。『軍隊はもたない』と明記されているのに自衛隊が生まれた。そして湾岸戦争で後方支援の名のもとに自衛官は出動し、イラク攻撃にも又、イージス艦を出してしまった。国会では有事法制の議論中(継続審議)、早急に廃案にしなければならない。又、教科書検定では歴史の真実をねじまげた右翼学者の編集した教科書が検定を通過し、真実がぬり変えられようとしている。同じ過ちを繰り返さないために私達のしなければならないことは多いと痛感している。
(2002年12月)

 80年前のできごとから

1.はじめに

 私たち「元労組有志の会」の会員は戦争を体験した世代、語りたくないこともあろうが、真実を語り継ぐことによって憲法九条改悪の危機に今やるべきことを共に考えたいと思う。
 最近ある学習会で学んだことから日本の侵略戦争の爪跡にふれたい。

2.80年前、何があったか 
 「三一運動」、1919年、ソウルで日本の植民地支配に抵抗して朝鮮独立運動がおきたのが3月1日と聞く。
 今年は関東大震災から80年たつ。この震災の前後、日本政府のしたことは、この独立運動をつぶすため軍隊を出した。そして国内においては、朝鮮人、中国人に対する嫌がらせ・弾圧がはじまった(五〜六年前のチマチョゴリの事件と同じである)。反抗的だといって殴る蹴る等の行為その他、証人のひとつの話、むごたらしい話で忘れられない。妊婦のおなかを銃剱で刺し、おなかの赤子をえぐり出す兵隊、さすがにそれを見ていた自警団の男たちも顔をそむけたという。人間というものはこんなことが出来るのであろうか、心が凍るような証言に、戦争という状況の中で軍人がどのような人間になるのかを見たと思う。この三一運動は真実を明らかにして歴史として語り継ぐ努力を政府に要求していくことである。南京大虐殺の事例、「慰安婦」の問題等、アジアの人達の人権を回復する運動は発展しているであろうか。人権人権という声は聞こえるが、かつての戦争中の出来事について「戦争だから仕方がなかった」という声がまかり通る日本でいいはずはない。

3.今、国会では、市民・労働者は
 政府は延長国会でイラク特措法案を通過させようとしている。武器弾薬の輸送も想定、これが後方支援という中味だ。憲法九条の改悪に向けて外堀も内堀も埋められた。おさまらない紛争に対してアメリカの仲介など茶番劇、戦争はまだ終わっていない。そうした中にイラク復興のためと自衛隊は出ていく。
 思い返すと、戦後五年目に警察予備隊としてスタートした自衛隊は、二年後に保安隊、また二年たって自衛隊となった。憲法九条ができて八年目である。五十年前から憲法違反は続いているのである。

4.最後に
 われわれ「元労組有志の会」の役割は、まず加害・被害の歴史を伝え、戦争の悲惨さを語り継ぐことと考える。アフガン戦争は終わっても何百万という地雷が残ったままで、被害者は後を絶たないと聞く。撤去に何百年もかかるという。今も子どもの犠牲者は続く。手足を失った子ども達は一生その痛みをかかえて生きているのである。イラク攻撃でも新たな犠牲者が出ている。戦争をなくさなければ…。それが憲法九条の精神ではないか。
 私たちの役割は、これを中心に据えて闘い続けることにあると考える。
 老骨にムチ打って、加害の歴史・被害の歴史を自ら学び、全国各地で九条の精神を語り継ぐ運動に取り組もうではないか。
(2003年10月)

 

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