5・3憲法記念日に際して各紙が出した「社説」に対するコメントです。
これは、前回5月9日に行った事務局会合で、各自が持ち寄ったコメントをまとめものです。

2004年5月3日憲法記念日各紙社説に思う

『朝日新聞』5月3日付

 「多彩な民意を直視」すべきだとし、9条を中心に改憲・護憲の様々な意見を紹介し、検討するという形をとりながら、最終的には改憲の方向に世論を導く論調になっている。
 まず冒頭で憲法を還暦・定年退職に近い年齢の人間に例え、見直し・手直しの必要な箇所はないか、と改憲にたいする心理的抵抗感を払拭する【百年程度が寿命? 改廃は当然?】。

 次に、改憲派が五割を超えた世論調査の結果に依拠して、若い人に多い憲法についてのマイナスイメージをあげつらい(誕生の頃とは「時代状況がまったく異なる」「旧かなづかいでピンとこない」など)、「もっと自分たちの感覚に合う憲法にしたいと思う人が増えた」と、肯定的に評価する。

 さらに「権利かそれとも責務か」との小見出しで「改憲論の中身が多様になった」とし、「環境とかプライバシー、知る権利」などの「『新しい権利』を求める」改憲論を、「むしろ護憲的な感覚」であるとして評価する。「『官より民』の憲法を自分たちでつくろうという市民活動」をももちあげて、九条以外の条文に手をつけることには肯定的である。

 九条・自衛隊についてはどうか。
「軍隊や戦力にはあたらないという解釈のもと、自衛隊はすっかり当たり前の存在になった」、PKO活動にも「国民の理解は深まった」と現状を肯定した上で、戦力・軍隊として肥大化した自衛隊、PKO【これ自体は肯定】の枠を超えた海外派遣と、これを追認する改憲論には危惧を吐露する。そしてこれにたいして、検討に値する「一つの考え」として紹介するのが「憲法に自衛隊の存在を明記しつつ、役割に歯止めをはっきりかけようといった」「『護憲的改憲論』」の発想であり、「国連軍的な部隊への参加を明記する考え方」である。
 様々な改憲論の中で、一つだけ明らかに批判的に扱っているのが自民党案のそれである。「9条改正によって堂々と軍隊の存在を認め、れっきとした米国の同盟軍にしようという考え」は「国民多数の気持ちを読み違えてい」る、と。世論の多数派に依拠する『朝日』は、日本が六十年近く培ってきた「平和ブランド」【何という軽い言い方!】を「日本の財産」として掲げ、日米安保より「国連との協調」をという「常識的な民意」にのっかって自民党の改憲論を否定してみせる。

 最後に「自民党も民主党も…改憲の具体案を作るという。…大いに議論してほしい。」「各党が国や社会のありようを根本から考えるのはよいこと」であり、国民が「政党をよく見定めるチャンス」とすべきである、とそれぞれの党の改憲案を検討することをすすめている。

 このように、憲法全体では改憲派が五割を超え、しかし九条に関しては未だ改憲反対派の方が多数という世論の動向をにらみながら、自らの主張は「護憲」とも「改憲」とも積極的には打ち出していないかのように見えるのが、今年の『朝日』の社説である。しかし、九条以外の条文については改憲の方向に世論をリードし、九条に関しても、自民党の改憲論を批判することによって民主党の改憲論を(相対的)に評価する展開になっているのだ【そもそも社民党や共産党の護憲論については一言も言及していない】。
 勇ましく改憲の旗を振ることこそしないけれど、民主党流の改憲の方向に道を開く役割を果たしていると言えるのではないだろうか。〈M〉

『毎日新聞』5月3日付 

最初読んだとき「改正有力案(改憲派)」と「9条改正反対の有力な反対意見」を紹介して、「具体的な改正文案になると難しい」というのは、自分の主張を曖昧にした客観主義だと思った。そして「改正の目的を語ろう」というのでは、アメリカべったりの小泉政権による改憲は危険だ、とされていても、「戦争をやる国」になるために憲法9条を改正しようとしている政府やその代弁者である『読売新聞』の主張にたちうちできないと思った。

 しかし次の文章に、『毎日新聞』の積極的な主張とその危険性が示されていると思うようになった。「米国が次に起こすであろう戦争ではついに初めから参加したいのだろうか。そうではなく日本独自に世界平和維持のために自衛隊の持つ武力を活用する決意をするのだろうか。9条改正は世界との付き合いのために人並みのことができるようにする現状追随がテーマではない。たとえばアジアの集団安全保障機構構築に積極的に打って出るなど、外交を通してどこまで積極的に世界とかかわっていくつもりなのかをはっきりと示す、日本の国のあり方が問われるのである。」
 小泉政権があまりに対米べったりであるがゆえに、そして米やEUによる東アジア諸国の浸食とアジアの盟主を目指す中国の政治的経済的軍事的な力に有効な対応策を打ち出せないでいるがゆえに、これに危機感を抱いているのが財界主流。この危機感を代弁しているのがこの社説ではないかと思う。〈Y〉

 「非戦闘地域という概念はおそらく現憲法下で駆使しうるぎりぎりの工夫」「自衛隊の派遣が可能になっている条件自体が非常に受動的で、状況対応型で日本自身の努力で何とかできる範囲ははじめからまことに小さい」と書かれているが、「非戦闘地域」というタガをはめたことが失敗であり、フリーハンドの自衛隊派遣になっていないことが問題であるかのように言っている。とんでもない。

「そうした世界の状況に対して日本としての自由な政治的判断を反映できない奇妙な状態から脱却したいという気分はことあるごとに蓄積されてきた」「ではどのように改正するのか」とあるが、中身を抜きに「自由な政治的判断」などというのはゴマカシだ。「蓄積されてきた」などと手前味噌的に現実を描き出しているが、むしろ「自由な政治的判断」ができるように「ことあるごとに煽ってきた」というべきだろう。

 「日本独自に世界平和維持のために自衛隊の持つ武力を活用する決意をするのだろうか。9条改正は世界との付き合いのために人並みのことができるようにする現状追随がテーマではない」。これは民主党の小沢一郎議員の言う「普通の国」より「右」の主張。筆者にとっての「平和」は所詮、戦争が収まっている状態を維持することだから、「外交を通して」現状の「平和」を維持するか、「武力を活用」くらいしか出てこない(憲法を改正したいということだから、つまるところ「武力の活用」を認めよということでしかない)。〈K〉

『読売新聞』5月3日付

 この「社説」の最大の特徴は、「『新憲法』を政治日程に乗ぜよ」という見出し。つまり、ここでいう「憲法改正」とは、現行憲法の部分を変えるということではなくして、現行憲法を〃破棄〃して「新憲法」を制定するということ、このことを言明していることである。どのような「新憲法」にしたいかは、この日にだされた「読売改憲試案」ということになるが、趣旨は、この「社説」からも読み取れる。すなわち、
1.イラク派遣のような自衛隊の海外派遣やA「集団的自衛権の行使」を認め、
2.人格・プライバシー権や環境権など新たな権利概念や
3.「国民の義務」を盛り込むこと。そして、
4. 前文に「民族の長い歴史と伝統」などに加えて、
5. 「個人の自律と相互の協力」「公正な社会」の視点を加え、国、社会の理念をより明確にすること、である。
それは、憲法は国民が権力にしばりをかけるものという立憲主義を否定し、逆に国民に縛りをかけるものである。「基本的人権」は「侵すことのできない永久の権利」であることが否定され、「公共の利益」に遵うものとされる。また、新自由主義と日本ナショナリズムを理念とし、「戦力不保持」を謳った「平和主義」を否定して侵略戦争も行える憲法にするということにほかならない。〈O〉

『産経新聞』5月2日付

タイトルに「緊急性ます9条見直し」とあるように、政府がイラクに自衛隊を派兵したことにふまえて、ここぞとばかりに9条「改正」を煽っている。
 「主張」の筆者は、現行憲法の何を「問題」と感じているのか。「国際テロや大量破壊兵器など」「日本の安全を脅かす事態を憲法では想定していない。」また「こうした脅威」に「対処すること」が今の憲法のもとでは難しい、ととらえた上で、この「最大の要因」は憲法9条であるという。具体的には、自衛隊には軍隊としての地位や権限が与えられていない、イラクにいる自衛隊がテロリストに攻撃されても武器使用できないことをあげ、これでは「国際社会の平和と安全の確保のために求められる安全保障上の役割を…果たせない」。

 以上のような認識にふまえて、筆者は「9条の改正」が「核心」である、さらに「憲法改正」と「教育基本法の改正」は「車の両輪」であると主張している。このような「憲法改正」を実現するために、国民投票法案を整備し、「改正案」を発議するために自民党と民主党が共同すべきであるということも述べている。

「主張」の筆者は、「9条見直し」が「国際社会」で「安全保障上の役割」を果たすことであると、あたかも「9条改正」が全世界にとっての利益であるかのように描き出している。しかし、そもそもアメリカ政府はイラクを足がかりにして中東全体を支配下におくために(ネオコンのいう「中東民主化」)、「イラクが大量破壊兵器を保有している」という情報をでっち上げてイラクに侵略した。劣化ウラン弾などの世界最大の大量破壊兵器でイラクを攻撃し、石油利権を独り占めにしている。さらにアメリカの占領に反対する民衆を「テロリスト」と称して無差別に殺傷し、「テロリスト」とみなしたイラク人を拘束し、虐待・拷問を加えていることが、いま世界中で大問題になっている。このような中で、イラクに派兵していたスペインなど「有志連合」の国々も次々と撤兵している。もはや世界の孤児となっているアメリカとともに占領軍の一角を担うこと自身が「国際社会」での「役割」などというのはデタラメだ。

 「国際テロ」の「脅威」というが、アメリカのイラク攻撃こそ国家テロそのものだ。あまりにもひどい軍事占領にたいしてイラクやアラブ諸国の民衆が抵抗するのは当然だと思う。「主張」の筆者のいう「9条見直し」は、このような占領に反対する人々に銃を向けることであり、今後もアメリカの「対テロ戦争」という侵略戦争に日本が加担することに他ならない。それに、いま「テロリスト」と言えば何でもまかり通ってしまう、戦前の「アカ」と同じものになっていることがおそろしい。イラク派兵直後に、「イラク派兵反対」「憲法を守れ」と訴えるビラを撒いた人が逮捕された。アメリカでも「テロ対策」としてアラブ諸国出身の人が不当に拘束されたりしている。だから「テロ対策」というのは反戦・改憲反対を訴えるあらゆる団体・個人に向けられていることを忘れてはならないと思う。

 改憲反対の声を大きくするために、「主張」に書かれているような改憲を正当化するための論理を、もっと知恵をしぼって批判していく必要があると思う。〈S〉

『東京新聞』5月3日付 

『東京新聞』の「社説」の特徴は、「国家あっての国民ではなく、国民あっての国家」であり、「国家・政府が国民を縛って統制するのではなく、国民が国家の行動を制御する、というのが、両者のあるべき関係」という立憲主義の立場に立って書かれていることです。

 最近は、自衛隊が軍事的な活動をするのは反対だが、「人道支援」をするのならいいんじゃないかという考え方が、一般的に広まってきているようです。「人道支援」の実際の中身を検証することも無く、政府の言い分を素直に鵜呑みにして。
 それと同じような論理で、改憲も単純に、憲法がそれで良くなるのならいいんじゃないの、という意見が増えてきているんじゃないかと思います。

 また、一般的には、権力に対して悪いイメージが無いというか、権力という言葉に対して何もイメージできない人もいるようですし、政府と自分を同化させてしまっている人も随分いるようです。例えば、小泉さんが私たちのために一生懸命構造改革を頑張ってくれていると本気で思ってしまう人がいます。
 『東京新聞』は、そうした改憲論以前の問題がわからない人が増えているということに気がついたのかもしれません。
 「権力者」という言葉や、「国民あっての国家」という基本的なことを、誰からも教えられていない、もしくは忘れている人がいるのでは、と思います。
 基本的ですがとても大事なことですので、現時点でそれについて書くことは、意味がある重要なことだと思います。〈N〉

『日本経済新聞』5月3日付 

社説の文面を順を追って検討しましょう。
 冒頭、「憲法改正の機運が盛り上がってきた。」として、改憲機運なるものを自ら寿(ことほ)いでいます。その機運の証左として、「日本経済新聞の4月の世論調査では55%の人が憲法を改正すべきだと答えている。」との世論調査結果を引いていますが、具体的な改正項目についての可否を塗り込め、改正志向の多様性を無視したごとき調査を、そのまま主権者の意思とするのは早計でしょう。

 社説は、「現行憲法は悲惨な敗戦に打ちひしがれた日本に平和と繁栄をもたらした非常に優れた憲法である。」と一応のリップサービスは施したつもりのようですが、その言い分には、疑問符が付きます。つまり、日経子によれば、日本は戦争に〈負けたことによって打ちひしがれた〉のであって、そのような視点からくみ出される「悲惨」さとは、引き揚げ時の混乱とか食糧難、あるいは窮乏と生活苦に止まるような口ぶりです。日経子に、我が大日本帝国が行った戦争の実相、被害と加害の歴史的考察が欠落していないか、はなはだ心許ないところです。だからでしょうか、「平和と繁栄をもたらした」などと高度成長謳歌のような評価が飛び出す有様です。「非常に優れた憲法」と持ち上げられても、何をもって優れているのか意味不明です。

 こうした没論理が、次のような安易な結論へと導く「枕」に過ぎないことは見やすいところです。曰く「しかし、どんなに優れた憲法でも時代の流れとともにほころびや足りないところも目立つようになる。わたしたちも制定から60年近くが経過した現行憲法を改正する機が熟しつつあると考える」と。日経子は「時代の流れ」が何であるのか明らかにしていません。「ほころびや足りないところ」というのも実にあいまいで、何か言ったことになるように見せかけているのが何とも言論人としては寂しいかぎりです。

 「ほころび」を言うのなら、憲法施行3年目(もっとも、沖縄にはその憲法も長い間およばなかったわけですが)で占領軍指令によって再軍備という「ほころび」が始まったことを忘れていませんか。「ほころび」を言うなら、その修復こそ課題でしょう。ヒトの疲労・老化・損耗に喩えた、こうした没論理にだまされるわけにはいきません。

 さて、社説の眼目は、「9条改正で自衛権明記」のくだりにあります。
 ここでも、「しかけ」がそれなりに施されています。曰く「憲法を制定・改正する権限は主権者である国民にある。国会が改正を発議しても国民投票で過半数が賛成しなければ改正は実現しない。憲法改正のプロセスは国民の主権者としての自覚を促し、国民が国のあり方を真剣に考えるよい機会になる」と。主権者を叱咤激励して啓蒙しようとしていますが、「国のあり方」という口吻が気になりますね。それはともかく、ご高説に従って、主権者としては、憲法実現のために力を傾けたいものです。

 で、その先にはこうあります。「現行憲法が制定された一九四六年当時と比べると日本の国際的地位や世界情勢、経済の規模や国民生活のレベルは様変わりした。いま、求められているのは平和と民主主義の理念をより深化させた21世紀の日本にふさわしい憲法である。」
 〈なんとなく成り行き〉のあいまい筆法で改憲の必要性を導くのはいかがでしょうか。「より進化させ」るのなら、まず現行憲法の「真価」を明らかにしなければならないでしょう。「21世紀の日本にふさわしい憲法」とは大層な言い方ですが、日経子は何か言ったつもりになっているのでしょうか。

さて、いよいよ本題です。「9条改正問題は日本政治の長年の懸案である。9条は日本が軍国主義のもとで無謀な戦争をおこした深い反省に立って、平和国家として生き抜く決意を示した大事な条項である。同時に9条2項が国家固有の自衛権まで否定するかのような表現になっているため、常に安全保障をめぐって国内にあつれきや対立・論争を引き起こしてきた。」
 「無謀な戦争」とは言っていますが、「無謀ではない戦争」があるような雰囲気も感じさせる記述です。というのは、日経子が〈自衛権の明記〉を言っているからです。日経子には生憎(あいにく)ですが、軍国主義だけでなく、民主主義の下であってさえも、〈軍備と軍事の理屈〉を否定したのが9条なのです。勝手に「懸案」にしてもらっても困りますが、「国家固有の自衛権まで否定するかのような表現になっている」のではなく、自衛権は、9条できっぱり否定されていることを肝に銘じたいものです。

 さて、次ですが、「わたしたちは『国際紛争解決の手段として武力の行使を行わない』とする9条1項は平和主義の理念として今後も維持すべきだと考える。最近の議論では9条2項を全面的に改めて自衛権、ないし自衛のための組織を明記し、新たに3項を設けて自衛の組織を国際貢献や国際協力に活用できるとする案が有力になっている。基本的に支持できる内容である。戦前の苦い経験を踏まえてシビリアンコントロール(文民統制)の原則も明文化すべきだろう。」
 勝手に「有力に」しないで欲しいですね。本音を出しながら、「9条1項は平和主義の理念として今後も維持すべきだと考える」とか「戦前の苦い経験を踏まえてシビリアンコントロール(文民統制)の原則も明文化すべきだろう」と、イチジクの葉でおおってもダメです。〈自衛権明記による自衛隊の憲法的追認〉〈国際貢献・国際協力を名目としたアメリカの傘下での海外派兵〉これが、9条の息の根を止めるために、改憲派が知恵を傾けた成果なことは良く理解できます。あたかも、この日発表された読売新聞二〇〇四年改憲試案としっかり呼応しているところがなかなかのものです。

 筆の勢いはまだ続きます。「二院制のあり方も根本から問い直す必要がある。日本の参院は世界各国の上院と比べて強い権限を持っている。このため、議院内閣制の円滑な運用に支障が出るケースがしばしば見られた。日本の内閣が短命でリーダーシップが弱い理由の一つに強すぎる参院の存在がある」と。
 なるほど、ここもねらい目でした。慎太郎さんのような強いリーダーシップが良いわけですね。「議院内閣制の円滑な運用に支障が出る」とはどういうことでしょうか。「議院内閣制」とは、主権者(日経子も前段であれほど持ち上げていた「主権者」です)たる国民の直接の選挙によって選ばれた国会が国権の最高機関であり、内閣は国会に対して連帯して責任を負うというのがその眼目です。〈行政優位〉のことではサラサラありません。悲しいかな、日経子の憲法読解力は、小学生以下のようです。

 まだまだ続きます、「国民の間にも根強い『参院不要論』がある。小泉純一郎首相も菅直人民主党代表も『一院制は検討に値する』と述べている。大いに議論したらいい。二院制を維持する場合でも参院の権限と規模は縮小すべきだ。参院で否決された法案を衆院で再議決するには3分の2の賛成が必要だが、これを過半数に改めることが望ましい。国会の会期制を廃止して通年国会にすることも大事である」と。
 〈そこまで言うのか〉とあきれるばかりです。「国民の間にも根強い」などとは、詐欺的論法です。
〈返す刀〉で、日経子は次のように切り込みます。「現行憲法の『地方自治の本旨』という規定はあいまいである。住民に身近な仕事は基本的に自治体が行い、自治体ができない仕事を国が行うという役割分担の原則を明確にする必要がある。非効率で無責任な官僚主導の中央集権体制に終止符を打ち、本格的な分権国家の道を踏み出すには、財源確保を含めた地方自治の原則をもっと具体的に憲法に書き込んだ方がよい」と。

 勇ましい舌鋒ですが、そのココロは、「規制緩和」ですね。
人権への配慮も忘れてはいません。「新しい時代に対応した基本的人権の充実も大きな課題である。高度情報通信社会の中で、個人情報やプライバシーの権利をどう守るのか、国民の知る権利をどう確保するかの議論をさらに深めたい。自然との共生の観点から『環境権』の明記も前向きに検討していい」と。
 泣かせどころですが、オブラートで9条突破を包もうということです。で、その権利のために、日経子は、これまで日夜戦い続けてきたのでしょうね。

 締めくくりはあまり〈締まり〉がありません。「わかりやすい憲法に」がそのタイトルです。
 曰く「各党間で憲法の前文を全面的に改訂することが検討されている。いまの前文は内容が古めかしく、翻訳調の表現で読みにくい。21世紀の日本にふさわしい簡潔な前文が望まれる。前文に限らず、憲法の条文には時代にそぐわない表現や日本語として適さない表記が散見する。条文全体を改めて点検し、正しい日本語で国民にわかりやすい憲法にすることが大事である」と。
 お言葉ですが、「21世紀の日本にふさわしい簡潔な」というところからして、意味不明です。正しい日本語を使いましょう。現行憲法前文が読みにくいとは、国民の言語能力を見くびっていませんか。小学生でもしっかり勉強していますがね。

 次にいきましょう。「現行憲法は改正にあたって衆参両院の3分の2以上の賛成で国会が発議し、国民投票で過半数が賛成するという厳しい要件を課している。しかし、最終的な決定権限が主権者である国民に委ねられているのだから、国会の発議は衆参両院の過半数で十分である。」
 権力者のお手盛りでなんとでもなる憲法にしたいわけですね。

 「憲法改正の機運が高まってきたにもかかわらず、国会が憲法改正を発議する手続きや国民投票を実施する手続きを定めた法律がいまだに整備されていない。これは明らかに政治の怠慢である。与野党はできるだけ速やかに国会法の改正と国民投票法の制定に取り組むべきである。」
 「政治の怠慢」などと大きなことをいうのはおよしなさい。我田引水の筆法ですね。憲法を実行していない政治の怠慢こそ糾弾すべきでしょう。
 「憲法改正は政治家にとっても一世一代の大仕事である。国の将来を見据えた各党、各政治家の真剣で責任ある対応を強く望みたい。」今時の政治家にそんな大仕事は任せられません。日経子ご自身、〈国民は主権者だ〉と言ったのではないですか。

 というわけで、日経子が全身全霊を傾けたであろうの社説を拝読し、目もくらむ論法と、鮮明な眼目は見て取れました。
敵の布陣を見極めながら、主権者国民のひとりとして反改憲のたたかいに尽力したいものです。〈T〉


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