この夏、井上ひさしさんの戯曲『父と暮せば』が、話題になっています。
 映画『父と暮せば』を試写会で鑑賞された方からの投稿を掲載します。なお、見出しは、反改憲ネット21事務局でつけました。

映画『父と暮せば』を観て

「戦争のできる国」に向かう日本に生きる私たちへのメッセージ

  宮沢りえの透明な美しさと、原田芳雄の軽みの演技は心ゆくまで楽しめたが、それでも実に重い内容の映画ではある。実写こそないが、CGと丸木夫妻の「原爆の図」を活用した場面から、原爆の恐ろしさが生々しく伝わり、生き残った美津江の「生きてはいけない」というやり切れなく悲しい思いに共感させられるからだけではない。父親・竹造の「後の人たちに伝えてゆくために、死んだ者たちの分まで生きなければいけないのだ」という美津江さんへの説得のことばのもつ重みである。それは今なお、戦争と大量殺戮の続く二十一世紀初頭に、「戦争のできる国」になろうとしている日本に生きている私(たち)に対して、これまで戦争で殺された人たちに代わって何をすべきか、ということを問いかけるメッセージであると感じるからである。

 それにしても、この重さから、広島近県に生まれ育った私は、父・娘の交わす広島弁のやわらかさに随分救われた。広島弁に全然なじみのない方には、「えっと」=随分・たくさん、「おらぶ」=叫ぶ、など、難しい方言もあるだろうが、前後の脈絡から推し測って理解する楽しみもあるのではないだろうか。 


美津江の内面をわかりたければ、もう一度、心して観に行くしかない 

広島にも長崎にも行ったことがない人も、原爆のような地獄絵図には目をそむけてしまう人にも、この映画なら大丈夫、軽妙なユーモアに包み込んで、原爆の悲惨さを伝えています。

 でも、そういう人は、この映画に感動するのは難しいと思います。「うちは幸せになってはいけんのじゃ」とうじうじする主人公・美津江、宮沢りえさんの演技に、けなげだなあ〜、としみじみするのですが、実のところ、何でそんなふうに考えるのか、訳わかんねえというのが正直なところ。その「訳」というものは、映画では物語の進行とともに浮かび上がり、次第にはっきりしてきます。そして、主人公の美津江は、過去を振りきり、未来に向かって生きてゆこうという希望を手にします。しかし、そこで、映画を観る側が、自分の肉親や知人が生きたまま原爆の炎に焼かれて死んでゆくなどということは、想像もできないし、したくもないという感性の持ち主の場合は、アアアッと声を詰まらせて、おいてけぼりにされたまま、ラストとなります。最後の場面で、美津江の内面で何があったのか、わかりたければもう一度、心して観に行くしかありません。


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