反改憲ネット21通信46号より、投稿記事を掲載しました。
テロ特措法・海外派兵違憲訴訟を闘って

テロ特措法・海外派兵違憲訴訟原告団長
            イラク派兵違憲訴訟の会・東京共同代表  尾形 憲



 四年前、仕組んだと見られる9・11事件が起こるや、ブッシュ大統領はこれを絶好の口実として、何の確証も示すことなく、オサマ・ビンラディン氏をその首謀者ときめつけ、彼をかくまっているとするアフガニスタンへの攻撃を開始した。国際法も国連憲章もまったく無視してである。その目的は、中央アジアの石油・天然ガス資源の独占、そのためのタリバン政権の打倒と親米政権の樹立だった。

 そしてこの攻撃には、クラスター爆弾、デージーカッター、バンカーバスター、劣化ウラン弾など、ありとあらゆる残虐きわまる兵器が使用された。

 この攻撃により、おびただしい一般民衆が殺傷されたが、とくに痛ましいのは子どもたちの犠牲である。攻撃開始から九カ月の時点ですでに一七〇万人の子どもたちが飢えと寒さで生命の危機に瀕していた。その半数が栄養失調の状態であり、全体の二五%が五歳までに死亡した。二〇〇万人の子どもたちが難民または避難民となっており、学校教育を受けることもできない。首都カーブルに住む子どもたちの四〇%以上が父母のどちらかを、または両方を失っている。

 またこの戦争での捕虜がキューバのグアンタナモに送られ、ジュネーブ条約を無視した虐待・拷問を受けている事実は、国際的な非難を受けている。

 こうした理不尽かつ非人道的きわまる侵略戦争に対し、「ショー・ザ・フラッグ」という米政府の要請に応じて、小泉政権は即座に支持を表明し、わずか十日の実質審議でテロ特措法を強行成立させた。後方支援という名目で米軍と一体の作戦を行うことは、政府がこれまで一貫して違憲としてきた集団的自衛権の行使に踏みこむものである。小泉首相は「憲法の前文と憲法九条の間にはすき間がある」「はっきりとした法律的一貫性・明確性を問われれば答弁に窮してしまう」と答えざるをえなかった。

 このテロ特措法により、二〇〇四年十二月までの時点でイージス艦を含む海上自衛艦延べ四二隻がインド洋、アラビア海に派遣され、米英仏など一一カ国の艦船に燃料を給油した。その総量は約三八万四〇〇〇キロリットル、経費は一四三億円以上になる。また航空自衛隊機が在日米軍基地間や、グアム米軍基地へ軍需物資を輸送している。

 私たちは、子どもが見ても「一見極めて明白」な海外派兵に対し、二〇〇二年七月に原告二五三人を以てさいたま地裁に違憲訴訟を起こした。その賛同者は国内約一五〇〇人のほか、台湾の一五平和団体、ノーム・チョムスキー、チャールズ・オーバービー、ハワード・ジンなど多数の平和活動家もおり、彼らは小泉首相に抗議文を送ったりしている。

 私たちはこの年の一二月、調査団をアフガニスタンに送って難民キャンプを訪ねさせた。夜が明けたら一家五人が固く抱き合ったまま凍死していたという痛ましい話も聞いた。爆風で鼓膜を破られ、精神に異常を来たして、決して人には話しかけず、ヘラヘラ笑い続ける子どももいた。故郷に帰りたいが、仕事がない。結局人々はケシの栽培に頼らざるをえなくなる。そしてカルザイ大統領はカーブル市の外に出られず、地方は軍閥の群雄割拠である。

 今日なお毎月八億ドルの戦費をかけて駐留の米軍がいても、カルザイ大統領は訪米の際、「アフガニスタンに帰りたくない」と言って、ブッシュ大統領に説得されたり、治安の悪化で「国境なき医師団」も撤退というような状態である。9・11事件が如実に示しているように、ブッシュ大統領が再任の演説で四二回も繰り返していた「自由」、そして「平和」は、いかに絶大であっても、所詮武力を以てして守ることはできないのである。

 調査団はいちばん不足しているのが医薬品と聞いたので、国内で集めたカンパ一〇〇万円を医療NGOに贈呈した。

 私たちに面と向かって示されることはなかったが、これまで非常に良かったイスラムの対日感情は決定的に悪化したという。自動車からは「日の丸」の標識や「JAPAN」という文字は消され、後には星条旗とユニオン・ジャックとともに、日章旗も焼かれる事件があった。

 私たちは軍事、憲法、納税者基本権、アフガンの実状、子どもの権利条約の五部門で七人の証人の申請や国側の答弁への反論などを含む立証計画を提示した。ところが、さいたま地裁はこれを一切無視し、何ら事実審理を行うことなく、わずか三回の口頭弁論で二〇〇三年六月二五日に訴えを却下、棄却した。過去のPKOなどこの類の違憲訴訟では十数回にわたる審理が行われたのに比べて、まったく異様な対応と言わねばならない。私たちは「裁判所は公正さを欠いている。司法の独立の見地から憲法無視の政府の行動をチェックするどころか、政府の代弁人である」と抗議した。
 私たちは即刻東京高裁に控訴したが、これまたわずか二回の口頭弁論で二〇〇四年四月二二日棄却の判決が出された。
 どちらの場合も、主な理由として、自衛隊の派遣は原告にとり「具体的な権利」の侵害がないから、争訴性がないということが挙げられている。

 だが、先に見たような何の罪もないアフガンの人たちの殺傷に私たちの税金が使われ、間接にせよ、私たちが加害者にされていることに裁判官は心の痛み、良心の呵責を覚えないのだろうか。「具体的」とは金銭の損害や身体的傷害など、目に見えるものだけではけっしてない。精神的なものもあるのだ。

 この不当判決に対し、私たちは最高裁に上告したが、二〇〇四年一二月一四日棄却の判決が出された。世話人会で再審請求するかどうか検討したが、弁護士さんたちの意見で、それは断念することにした。三月中に「テロ特措法・海外派兵は違憲 市民訴訟の会」としては解散ということになる。

 イラク派兵違憲訴訟もそうだが、私たちの訴訟は、これまでの自衛隊海外派兵違憲訴訟と決定的に異なる。それは、戦後半世紀あまり、平和憲法により少なくとも国の名において他国の人たちを殺したり私たちも殺されたりすることのなかった輝かしい実績が否定されることになったことについて、あらためて憲法前文の「平和的生存権」――というより「平和的共存権」を問い直すものである。

 そうした意味で、私たちの闘いは孤立したものではあったが、それは今日北海道、愛知、東京、大阪、静岡、山梨、栃木、仙台、岡山、熊本、関西の労組と、怒濤のように広がっているイラク派兵違憲訴訟の先駆けをなすものだったと言ってよいのではなかろうか。
 私たちの訴訟の原告や賛同人の多くはすでに各地でイラク派兵違憲訴訟に取り組んでいる。
 滔々たる改憲の流れに抗する私たちの闘いはこれからが正念場だ。
 

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