Q8.たとえ人権や民主主義が制限されても必要?

A.「国家あっての人権」ではない。国民が人権と民主主義を放棄してはならない。

有事法制は国民を戦争に総動員するために国民の人権や民主主義を否定するものです。
 ところが、「たとえ人権や民主主義が制限されても必要ではないか」と考えて有事法制に賛成している人もいます。「戦争になったら命だって危ないのだから、人権や民主主義を守れなくても仕方ない」というのが、その理由のようです。つまり、「戦争」について「日本が侵略され、本土決戦のような状態になったとき」をイメージし
て有事法制は必要といっているようなのです。
 
 しかし、今回の有事関連三法案では、日本が海外にでていって武力行使を行う(先制攻撃や侵略戦争をも含む)ことを可能とし、それに国民を動員するために人権も民主主義も制限できるとなっているのです。
 いま問題なのは、日本が侵略戦争をもできる国になっていいのか、それに私たち国民が協力させられることになつてもいいのか、ということなのです。今国会に上程されている有事関連三法案がどういうものなのか、このことから離れて有事法制は必要かどうかと考えることはできません。
 「たとえ人権や民主主義が制限されても必要」という主張は、有事関連三法案が侵略戦争をも法的に可能にするものという核心を曖昧にするものではないでしょうか。

 また、「たとえ人権や民主主義が制限されても必要」という政府などの主張には、「国家あっての人権」という考え方がつらぬかれています。
 しかし、国家があれば、それで人権や民主主義が保障されるわけではありません。
むしろ、歴史的に国家は、権力を握った支配層の利害のために国民の人権や民主主義を侵害してきたのであり、これと国民が闘い、人権と民主主義を保障した憲法や法律をつくらせ、これを国家に守らせ、実行させてきたのです。逆に国民の闘いが弱いときには、たとえ憲法や法律で保障されている権利もふみにじられてきたのです。
 
今回の有事関連三法案も、国家が(国民のためではない)侵略戦争をも行うことを可能とし、そのために、国民の人権や民主主義を制限し侵害するものです。それを「国家あっての人権」だからと認めることは、私たち国民が自ら人権と民主主義を放棄し、自らの首を絞めることにしかなりません。
 「国家あっての人権」という主張は、何も私たち国民の人権や民主主義を保障するために言われていることではありません。むしろ、国家が人権や民主主義を制限することを正当化するために主張されているのではないでしょうか。
 
国民が人権と民主主義をかちとってきた歴史に学ぶならば、いま私たち国民が、人権と民主主義を守り、さらに獲得するためには、「たとえ人権や民主主義が制限されても必要」と有事法制を認めるのではなく、それをつくらせないことにあると思います。

◆Copy-right hankaikennet21 All Right Reserved.◆掲載記事・画像の無断転載を禁じます。